秩父宮賜杯 第41回 全日本大学駅伝対校選手権大会
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カテゴリ【朝日新聞記事】 更新日 2011年11月10日 12時51分
けが2年の愛工大・伊藤選手、鎮痛剤飲みつないだ
6日にあった第43回全日本大学駅伝対校選手権(朝日新聞社など主催、JAバンク特別協賛)で、東海地区から愛知工大が3大会ぶりに出場した。期待されながらも、けがに苦しめられ続けてきた選手が初めて伊勢路を走った。
3年の伊藤晶寛選手。3区(9・5キロ)を駆け抜け、第3中継点で紫のたすきを次の走者に手渡した。待ち構えていた仲間たちに肩を抱かれると、ほっとした表情を浮かべた。
入部後しばらくして、左右のかかとが刺されるような痛みを感じるようになった。診断結果は「足底筋膜炎」。治りにくく、十分に走ることはできない。持久力を鍛える水泳や筋力トレーニングしかできなかった。
2年がたった。今年春、愛知県田原市の実家に帰った時、「もうやめる」と父の光久さん(51)に告げた。「ここで逃げたら、ずっと逃げっぱなしになる」と厳しい口調で言われた。悔しくてしょうがなかった。奥野佳宏監督(36)らの引き留めもあって、「もう一度、走ろう」と思い直した。
今も治ってはいない。この日も右のかかとに違和感を覚え、鎮痛剤を飲んで臨んだ。「途中の起伏がきつくて、何度も心が折れそうになった」。3区の終盤、道路わきに立つ光久さんの顔が見えた。「あと2キロだ。踏ん張れ」と叫んでいた。
自らの記録は区間22位で30分26秒。チームは東海勢でトップの17位だった。中継点で伊藤選手は「まず父さんに、そして監督や仲間にありがとうと言いたい」と語った。
「もともと足が速く、先輩に食らいつくような走りもできたのに、けがで誰よりも苦しんでいた」と評価していた奥野監督。ゴールで迎えた伊藤選手に、「よう頑張ったな」と声をかけた。
来年は最上級生となる。「これまでは先輩の力あってこそのチームだったが、次は自分たちが引っ張る番」と意気込む。引退する長坂公靖主将(4年)は「まだ伸びしろがある。さらに上をめざして頑張ってほしい」とエールを送った。(小若理恵)

3区を力走した愛知工大の伊藤晶寛選手=6日、三重県四日市市六呂見
東北がんばれ、選手の思い
ゴールの伊勢神宮には、選手たちが東日本大震災の被災地を応援しようとメッセージを書き込んだボードが立てられた。
ボードはランニングシャツ形の縦5メートル横3メートル。6月から全国8地区で開かれた予選会で、参加計82校の選手らが書いた。「東北頑張れ」「一緒に乗り越えよう」という文字がボードを埋めている。東北地区の選手らは「負けない」「東北魂」などと書いた。東北学連選抜として参加した樋渡翔太主将(富士大・4年)は「頑張れば必ずゴールにたどり着く。自分の走りで被災地の人に勇気を感じてほしかった」と話した。

ゴール地点には、東日本大震災の被災地へのメッセージが書かれたボードが立てられた=6日午後、三重県伊勢市、竹花徹朗撮影
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カテゴリ【朝日新聞記事】 更新日 2011年11月10日 12時28分
上武大が6位、大健闘 念願のシード獲得
上武大(本部・伊勢崎市)が大健闘した。6日に愛知・三重両県で開催された第43回全日本大学駅伝に初出場して6位に入り、上位6校にのみ与えられる、次回大会の予選が免除されるシード権を獲得した。
初出場校のシード権獲得は、2003年の中央学院大(千葉県)に次ぐ史上2校目だ。
6月の関東地区予選で6位に入り、地区代表として大会に臨んだ。序盤から徐々に順位を上げ、6区走者の渡辺力将選手(3年)が区間トップと3秒差の走りを見せるなど、一時は4位に浮上。最終8区では、大学駅伝界のスター、東海大の村沢明伸選手(3年)の猛追を振り切った。
最終走者の園田隼選手(4年)らに胴上げされた花田勝彦監督(40)は「全員が本当によく頑張った。感謝したい。上位校に波乱が出る中、選手が実力通り粘り強く走った」と喜んだ。
来年1月2、3日には、箱根駅伝が控える。花田監督は「箱根でも力を出し切れば、自然と結果はついてくるはず」と話した。

力走した上武大の佐藤舜選手(左)からたすきを受ける倉田翔平選手=愛知県弥富市、竹花徹朗撮影
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カテゴリ【朝日新聞記事】 更新日 2011年11月10日 12時20分
新潟大 疾風 力走 22位 「壁」痛感、再出場へ決意
6日の第43回全日本大学駅伝対校選手権大会(朝日新聞社など主催、JAバンク特別協賛)で、北信越地区代表として22大会ぶりに出場した新潟大の選手8人が、106・8キロの伊勢路を駆け抜けた。記録は5時間52分46秒で22位。目標だった過去最高の17位(1989年)は超えられなかったが、選手たちは粘り強い走りを見せ、「ここからがスタート」と来年の再出場を誓った。
午前8時すぎ。「緊張しています」と少しこわばった表情で、1区を走る稲毛寛人選手(4年)がスタートラインに立った。新潟大はレース前半に先頭集団との差をなるべく縮めて流れをつくる戦略で、チームエースに1区を任せた。
関東勢が占める先頭集団には、1キロくらいから離れだしたが、焦らず同じペースを保った。全国の壁が厚いのは覚悟していた。先頭から10分以内に中継点にたどり着けなければ繰り上げスタートとなる。スクールカラーの緑色のたすきを、少しでも早く渡したい。
終盤には少し苦しそうに顔をゆがめながらも前方との差を縮め、トップと3分差でたすきをつなげた。
3区「あと54秒」
2区から駒沢大学の独走となり、差が開いてくる。3区の住柔選手(1年)は、トップから7分以上遅れてたすきを受けた。2~3キロ走って「いつものペースより遅れてる」。
中継点に、たすきを引き継ぐはずの金沢拓則選手(3年)の姿はなかった。あと54秒、間に合わなかった。
たどり着いて仲間に抱えられた瞬間、「いつもの力を出せていたら、いい流れを作れたかもしれない」。涙がこぼれた。
背押す「頑張れ」
新潟大は4区以降、繰り上げスタートを意味する白いたすきで走った。それでも粘り強く走る選手たちを沿道の応援が励ました。
6区で津市の市街地を走った石原宏哉選手(2年)は、中間地点からリズムが作れず苦しんだ。そこへ「新潟頑張れー!」の声。出身の栃木県から新潟大で駅伝をするために進学し、念願かなって立った夢の舞台だ。「きつかったけど、応援が背中を押してくれました」
快走「練習通り」
最長区間の最終8区は、チーム最年長の伊藤悠太選手(院2年)だった。12チームが一斉に繰り上げスタートとなったが、最後まで自分のペースを崩さず「練習通り走れました」。最初で最後の伊勢路で、笑顔でゴールを踏んだ。自分の姿から後輩に学んで欲しいと臨んだ大会。「全国は甘くない。後輩たちには、来年のために厳しく練習していって欲しい」と語った。
レースを終え、駒形大樹チームキャプテン(3年)は「全国の壁と、1秒の大切さを感じた。全日本で闘うためには、ここからがスタートだと思ってこれから取り組んでいきたい」。(高見沢恵理)

第1中継点で、稲毛寛人選手(左)から鈴木拳選手に、たすきが渡った=愛知県弥富市

ゴールするアンカーの伊藤悠太選手=三重県伊勢市
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主催:[社]日本学生陸上競技連合/朝日新聞社/テレビ朝日/メ~テレ/